戦争と競争

戦争と競争の違い

—村主さんが戦争のお話をされるとき、しばしば競争を引き合いにだされますが戦争と競争をどのようにお考えですか?

戦争と競争は当たり前に全く違うものでして、決定的な違いは武力の有無と、相対する当事者同士の問題、あとは規模ですかね。

—もう少し具体的に言いますと?

まず一般的な戦争の定義としては、お金、領土、政治、宗教などの問題をきっかけもしくは目的にして、国同士が武力をもって行われるのが戦争です。ただし最近は武力の定義も変わってきて、サイバー攻撃など認知線なども含めていわゆる高次元の戦争が展開されているので、戦争の定義も拡張されています。

そして僕が思う戦争の一番の問題点は、例えば分かりやすい言葉にすると、『戦争は老人が始め若者が犠牲になる』というものです。

過去の歴史や感情が複雑に絡み合って解決が難しい問題を、武力で解決しようとした国家を取り仕切る老人たちが開戦を決断して、戦うのは”若者たち”で、仮に戦闘員同士の戦いだけに限定されるならまだしも、一般の国民も被害を受けるのが戦争の最大の問題点だと思っています。

—なるほど。それに対して競争はいかがでしょうか??

競争も、何かしらの領域において争っていることに変わりはないのですが戦っている者同士が「自分は当事者である」という認識をもっていますからフェアなんです。たとえば、エネルギーなどの資源開発競争、世界を席巻するAmazonや中国企業による経済競争、音楽やスポーツにおいてもどこにでも競争は溢れています。そこからさらに身近で一般化したものが会社やベンチャー企業ですし、見方を変えると、形を変えた戦争が一般化し民衆化したものが経済競争とも言われてますよね。でもあくまで競争の範疇ですから全く関係ない人までもが巻き込まれて極限状態に追い込まれるようなことはありません。もちろん失業して廃業して一家離散や自殺などの問題はありますが。

—国民が巻き込まれない戦争(競争)ならば村主さんとしては特別に問題視しないということですか?

問題視しないというか、ビジネスもスポーツやコンテストなど、競争自体がエンタメになっていたり、技術の発展や発想の転換など、競争原理が働くことで進歩していくことは多いので、進歩や改善を良いものとするのであれば、競争は必須になってくるとは思います。

戦争をしたいと考えている国の上層部や軍隊同士が局所的に巌流島みたいな所に集まって決着を着けるとかならぎりぎり理解はできるかもですが、結局のところ戦勝国が相手の国を支配しますよね。そういう意味では戦争をしたいと考えている国の上層部や軍隊同士が局所的に集まって戦っただけで解決できる問題ではないんですが。

—現実的にそのような状況をつくれるのでしょうか?

戦争はそもそも国家間、部族間、地域間、人種間だったりと組織または集団での争いですし、その原因は根深いものが多いので、その組織なり集団なりに属している人が全く巻き込まれない戦争というのはむずかしいでしょうね。それに現時点でそういった戦争を終わらせる方法や答えがあるわけではありません。僕は戦争を終わらせるための活動をしていますがその内容は紛争当事者の間に入って戦争にならないような働きかけを継続的にすることであって、国民が巻き込まれない戦争の具体的な成果はまだあげられていません。そう考えると国民が損害を被ることのない戦争、国家上層部間競争とでもいいましょうか、そういう戦争(競争)はずっと先になるのかなと思います。

ただ、国民が巻き込まれる戦争を終わらせたいと思う一方で、そういった戦争が技術の革新的発展に繋がったという歴史的事実が多々あり、戦争があったからこその恩恵も僕たちは受けているので、戦争がなくなることで人類の成長、技術的発展が停滞する懸念もあります。また、これ以上の技術的な進化が本当に人類に必要なのかという問題も含めて、0か100か、善か悪かといった二元論で片付く問題ではないので、これからたくさんの議論を重ねていくことになると思っています。

—世界規模の競争が戦争に発展することはあるのでしょうか?その場合、何がきっかけになると思われますか?

経済戦争がリアルな戦争に発展していくことはもちろんありますが、結局は人種間の問題や、宗教の問題が大きいとは思います。あとはお互いに戦争をしてるフリをして支援を引き出したり、国民を巻き込むことによって特需を受ける産業があったりと、戦争とは別のまた違った目的が介在している場合もあるので、一筋縄ではいかないですね。

競争があることの意味と意義

—競争に善も悪もなく人間の成長のためにあるものだとしたら本来は上手に付き合えるものだと思うのですが、村主さんはどう考えますか?

人間の本質という目線で見ると、そもそも生きる上で他の動物を犠牲にしていることは種族間の勝者である証明です。少なからず僕たちは生きていること自体が競争に勝ち抜いた結果だといえるし、そこから何かしらの充足感をえていたりします。競争社会は嫌だという人もいますが、そう言いつつもインスタのフォロワーが増えることは自分が他の人よりも支持されている、つまりは競争を優位に進められていると感じて嬉しいみたいなかんじで競争の焦点をズラすことで満足度を高めてる人もいますよね。

究極的には人間は成長したり変化したりする必要もなくて、海や川や山などといった自分たちの生存領域の範囲で小さな改善や工夫をして生きていけばいいだけなんです。そんな生き方をこの数百年より前の人類はみんな当たり前にやってたんですが、結局その中に調和を乱して競争意識の強い人間が現れた瞬間に均衡は崩されて、結果多くの人間が競争に巻き込まれていったんでしょうね。