幸せを追い求めると幸せになれない
—世界平和は人間が楽しく生きるためのアプローチとのことですが、実現したら人は幸せになれると考えていいでしょうか。
世界平和が実現した状態をどう定義するのかによりますが、世界平和に向けて意識を高めて活動をしたり、実際に何かを実現したことによる精神的な満足感はあると思います。その過程でかなりの修羅場をくぐることになるはずですし、その結果物事を俯瞰的に見られる抽象度の高い自分になっているはずなので、『幸せ』というもの自体への評価も冷静に考えられると思います。ただし人間は、一つの目標をクリアしたら次の目標に向かって走らないと、飽きや退屈という難敵が襲ってくるので、結局また新たな視野や角度からの葛藤は始まるとは思いますが。
—村主さんの考える「幸せ」について教えてください。
本当の幸せはなんだろうという議論は一旦置いておくと、基本人が感じる幸せは所詮、『変化率』にすぎなくて、状態が向上してることに喜びを感じて、その後何かを達成した一瞬は幸せを得られるけれど、そこからの感情的下降は回避できないので、また次の幸せを求めて行動しなければならなくなります。そういう変化率で得られる幸せを目指してしまうのが僕たちなんですが、昔から仏教僧や悟りを目指す人たちはそこからの解脱を目標にした意味合いもありました。
—『幸せは変化率』というものをもう少し説明してもらえますか??
変化率というのは、過去または現在の状態からどのくらい未来が良い方向に変化したか、その度合いです。一般的に変化の幅が大きいほど満足度や達成感は高いのですが、その感じ方は刹那的で相対的なものなので、脆く不確かなものです。
空腹は最高の調味料という言葉もある通り、結局ご飯が一番おいしく感じるためには極限まで空腹になればいいわけで、逆に言うとどんな美味しいご馳走も満腹だったら苦行です。結婚したいという夢を叶えて幸せの頂点を感じたけれど、結婚した状態が日常になるとパートナーや生活への不満やイライラが募って「こんなはずじゃなかった」と思うようになってしまう。今まで自由だったのに妊娠していろんな制限ができたり、子どもの世話が大変で睡眠も自分の時間もない怒涛の毎日が普通になってしまい幸せだと感じられなくなる。この状態から幸せになるためには目の前にある不満を解決しなければならないですし、解決できて一時の幸せを手に入れたとしても、それが恒常的になると価値を感じなくなるので、また次の幸せを求めていかなければならないんです。変化率で得られる幸せはこのループの繰り返しです。
―変化率で得た幸せは儚いものなんですね
そうですね。変化率でもたらされる幸せや感情は一過性のものですから「点の幸せ」にすぎません。ある意味、お金やビジネスにおけるラットレースと同じだといっても言い過ぎではないのかと思います。1億円の売上目標を達成した次の瞬間には1億円の売上が普通になっているので次は2億円、3億円…と多くの人は次の変化率を求めていく。ビジネスで人が拡大を求めていくのは変化率の幸せを求めているからだと思いますし実際に僕もその状態を20代の頃に体験していて、疲弊し、絶望し、死を意識するぐらい思い悩みました。
幸せのラットレースからの脱却
―「点の幸せ」がダメなら「線の幸せ」を目指したらいい?その定義は?
瞬間の点の幸せを目指して、一次元的な線状の幸せを感じるのではなく、立体的な幸せを目指したいんですよ。ホントは今のこの瞬間が幸せなはずで、生きてる時点でボーナスみたいなものなので、無いものねだりをしたり人と比べたり成長に固執したりする必要なんて無いんですよね。もちろんそれは辛さや悲しさも含めて感じられること自体の喜びという意味を含みますが。
通常の物理学的な定義を引用するなら、点の幸せを0次元、一次元を線状の幸せ、二次元を面の幸せ、三次元を立体の幸せって表せるんですが、この三次元の立体の幸せは時間という概念やパラメーター、つまり四次元を含まない。だから過去、現在、未来といった時間軸から離脱した「今、この瞬間の幸せ」なんです。時間的にはある意味『点』なのですが、この立体的な全方位の幸せをたくさんの方に意識してほしいです。
―抽象度と「立体の幸せ」は関係ある?
抽象度が上がりきった場合には、そもそも幸せという定義自体が壊れます。抽象度が上がりきるということは不幸せがない状態なので、幸せも存在しません。その頃には「立体の幸せ?何それ?」ってなっているかもしれませんね。
なので、論点はズレますが、不幸せを感じないためには幸せも感じないぐらいに抽象度を上げて、全ての情動を無効化することを目指すのはお勧めです。
ただし、感情自体が霧消するので、それが理想的な状態かは個人の好みによるかと思います(笑)。
『幸福』を主体的に定義する
—立体の幸せを目指し、自分にとっての『幸福』を定義するために瞑想は有効ですか?
瞑想の本質的な意味や具体的な手法や目的は別でまとめるとして、瞑想と幸福は最も直結してるものだと思います。要は、無いものねだりをせずに今の状況に感謝し、人間として生まれてきた今この瞬間を見つめなおすというのが、瞑想の真骨頂なので。
—瞑想は「幸福化」を不可逆的に進められる?
瞑想によって日々の事象への捉え方が理解できると、悪い思考癖に気付けたり、行動パターンを修正できるので、日々続けて行うことでラットレースに戻らない理想の幸せを感じ続けられます。だから継続することがとても大事です。
10年修行したお坊さんも世俗に紛れるとどうしても周囲の影響を受けて現代人的な思考に寄って行ってしまうので、日々の修行が欠かせないのは僕たちも同じであり、変わらない真理みたいなものですかね。
—瞑想で幸せの感じ方、定義はどんなふうに変わる?
例えば、お腹が空いてる状態から満たしていく過程を僕らは食事と呼んでいて、その状態が幸せの一つの瞬間の代名詞だと思うんですが、これは満たされない状態を満たしてるから幸せを感じてるに過ぎません。けれど瞑想によって「今この瞬間」を見つめなおして見たら、本当はお腹が空いてると感じてることすらエンタメで幸せの一つだと感じられるようになるんですよ。そうすると、お腹がすいていることも、満たされていることもどちらも幸せな状態になるので、結果、幸せの定義を拡張できて幸せ感度が上がり、少し世界の彩りが変化するんじゃないでしょうか。