宇宙思考とは?
―村主さんの考え方、宇宙思考とは?
思考の基本ベースを極力宇宙に置いておくことです。
人の思考は時間軸と物理距離が一つの基軸になるので、この2つをどのように設定するかが重要になってきます。まず時間軸は、その人がどのくらい先の時間を見越しているかです。今日1日をどう過ごすか考えている人もいれば、3カ月先まで、今年いっぱい、3年後などさまざまありますよね。中には自分の寿命までの人生設計を綿密に設定している人もいれば、未来を見据えずに今この瞬間を生きてる人もいます。50年後を意識するあまりリスクを取れずに行動の自由度を狭めてしまい可能性を閉じてる人もいます。一概に時間軸が長いからいいということではありません。
ただ、人は自分が設定した時間軸の中で行動が閉じるので、僕は数百億年という時間軸を意識しているということです。そして物理距離も何十億光年。つまり、一つの惑星が誕生して消滅するくらいの時間と惑星同士の距離を掛け合わせて拡張する次元や空間の中で生きているんです。これが僕が意識している宇宙思考です。
―なんのためにそんなことしているんですか??
意図しているというよりも、元々そういう思考でいたのを、ある時から全面的に受容できたって感じですかね。友達と遊んでる時や学校やスポーツなど、どうしても何をしても面白いと思えず、全てが無駄だと思ってた時期が長かったんです。子ども時代も大人になってからも。
細かい人間同士の争いも、国同士の大規模戦争も、50億年後に地球がなくなること以前に、1000年後には良くて教科書の一行になってるに過ぎないことなので、それに対してどうやって熱量を高めたら良いんだっていうのが人生の大きなテーマでした(笑)
宇宙思考で見た地球
―村主さんにとって地球とは?
村主にとってというよりも、一般論として数ある銀河の中の数ある星の1つ、ですよね。宇宙から見たら地球も他の惑星もみんな一緒なので、多くの人が感じているような「地球は素晴らしい!」といった感覚はもちろんないですね。星の個性の一つに過ぎないと思っています。地球は空気と水があって青色をしている、月は大きな石ころみたいにゴツゴツしている、太陽は核融合が日々起きている高温の物体、土星はガス。もちろん、その個性に良い悪いはありません。地球人という限定された価値観の生物が自らをどう定義するかという話なので、それが良い悪いとかって話ではないですね。
―宇宙思考で考えたら地球はどうなる?
50億年後くらいには地球はなくなっています。地球は天の川銀河の太陽系に属していますが、この天の川銀河とアンドロメダ銀河がどんどん近づいているので40億年後くらいには銀河同士が融合して1つになります。当然、地球も融合されて存在していないか、新たな惑星に変化しています。
もしくは、太陽が50億年後には白色矮星というのになるんですが、その過程で膨張して爆発する可能性が高いので、地球は確実に蒸発するか溶解します。どちらの道を辿るのかはわかりませんが、隕石の衝突や宇宙戦争を含めて、他にも地球が消滅するプランは山ほどあるので、皆さん楽しみにしておいてください☆
―地球が滅びるなら世界平和はいらないのでは?
確かに、宇宙思考で考えると地球はなくなるので世界平和はやらなくてもいいんですよ。これについてはもう100億回くらい考えてきました。地球はいつか滅びるので世界平和をしてもしなくてもどっちでもいい。数年後に人類が核戦争を起こして地球が滅亡しても、数億年後に天文学的イベントで消滅したとしても宇宙の歴史から見れば誤差にすぎません。本当にどっちでもいいんです。でも、地球はどうせ滅びるから何をしてもいい、戦争をしてもいい、子どもたちが悲しい想いをしても良いかって言われると、そこは人間村主としては許容できない。だったら動くしかないよねって思って行動しています。一人ひとりが自分だけの幸せを追い求めるより、自分ではない誰かのために生きようとする世界のほうが豊かで楽しそう。そう思うから世界平和の活動をしています。
数百年以内に確実に人類は他の惑星での生存手段を見つけると思いますし、それが100万年単位でみたらより確実に技術的には達成されるので、人類が仲良くしていたら、仮に地球は滅びても、新しい地球的な惑星にひょいと移動すればいいだけです。その頃には高次元や時間の解明、惑星自体の操作によって、今想定されてる天文学イベント自体をコントロールできる可能性もありますね。僕らは地球を人類の手で終わらせるのではなく、人類の手で永らえさせることを目指していきます。
地球と人類と宇宙人
―地球脱出と世界平和は関係ある?
またここで一つの矛盾があるんですが、じゃあ争いがないほうがいいのかというと、そうとも言えない。というのは、争いや競争があることでその争いに勝利したいという思いから生まれた強烈なモチベーションが技術進歩を加速してきた事実があるからです。軍事技術からインターネットがうまれたように、世界がとても平和で幸せすぎる一つの大きな国だったら、果たして人類はここまで革新的な技術を生み出せていたのかと。争いはないほうがいいけれど、競争がないと技術は進歩しない。こんなふうに「競争」がもつさまざまな側面と技術革新の必要性、宇宙の時間軸と物理距離を考慮すると「はたして肉体は必要なのか」という当たり前の疑問に行き着きますよね。
―「肉体がない」が村主さんが考える人類の最終進化形ですか?
そうですね。進化の過程で物理制約の最小化を目指すだろうし、感情といった低俗なものも持たない「情報」として生きているはずなんです。「情報」といっても僕たち人類が定義している情報ではなく我々の考える概念を大きく超越した何かです。その言葉も表現方法もわからないので一番近しいものとして「情報」という言葉を使っています。肉体がない、感情がない、人の概念を超越した存在になっていく。
ただその過程で、いや、やっぱり感情って良いよねっていう回帰はあるでしょうし、人間同士の温かさってどうやったって人間同士を体験しないと無理だよね、苦しみとか死って大事だったよねって思った未来人類たちがそれを体験しに来ているのがこの現代って可能性もあるとは思っています。
いずれにしても、そんな不毛な思想に日々埋もれながら日常に潜んでいます。